カテゴリー「記憶・夢・出来事」の26件の記事

2012年9月 5日 (水)

卒業?

怖い夢の定番で、繰り返し、繰り返し、見るシリーズがある。

「勉強しないと卒業できない」という夢だ。

こんなバカみたいな設定なのに、夢の中の私はとても苦しんでいて、ひどくうなされて目が覚める。
状況はその時々でちょっとずつ違うんだけど、共通するのは、「これまでの不勉強をとりかえすべく猛烈に勉強しないと卒業することができなくて、この場所にいつまでもいなくてはならない」というシチュエーション。どこを卒業できないのかはいつも曖昧ではっきりしない。

不思議なのは卒業できないのがいつも「未来形」であることだ。

「勉強しなかったので卒業できなかった」というストーリーであることは決してなく、
かならず、「勉強しないので卒業できないだろう」という設定なのだ。

この時制には深い意味があるような気がする。

絶体絶命なわけではなく、がんばればなんとかなる余地が残されているのに、夢の中の私はあらかじめ絶望するのだ。そんな暇があったらがんばれ、まだ間にあう、と夢を見ていないときの私は思うんだけど、この夢を何度見ても、そういう風にはならないのだ。


目が覚めるといつも、もうどこも卒業しなくていい自分の立場に心の底から幸せを感じる。そしてなんども確認する。
ほんとうに、私は、もう、卒業しなくてもいいんだよね?と。

「まだチャンスがある」、という状況なら私はがんばってなんとかしようとする方だと思うんだけど、なぜだかこの夢だけは絶対にそういうこちにはならないのだ。私はそこまで勉強するのが嫌いなのかと自分でもあきれる。

もしかしたら。一度でもがんばって勉強して夢の中の卒業試験に合格することができたらこの夢を見なくなるのかもしれない。
はたしてそんな日は来るのか?
こんな気の長いプロジェクト、誰が企画したんだ。

そして時々ふと思う。
ほんとうに、ほんとうに、私はもう、卒業しなくてもいいんだろうか?

2012年8月 4日 (土)

ミラーサイト?を作ってみました。

アクセスが集中して困るような人気サイトだから・・というわけではもちろんなく。バックアップ用にもうひとつブログを作ることにしました。

この間から、えんぴつ日記システムが不調みたいで、サーバーダウンしたり、データが故障したり・・・といった事故が起きてる様子。
とても使いやすいサービスなので、どうやっても使えなくなる日が来るまでは私は使い続けるつもりでおりますが、だからこそ、万一のことを考えて手を打っておこうと思ったわけです。

「エンピツを使わなければよかった。」って思ってしまうのは嫌だから、最悪の自体が起こっても、そんな風に思わずにすむ使い方を考えようと。幸い、エンピツのバックアップサービスはかなり使いやすいですし。方式の違う二つの日記を持ってるのは、意外と便利なこともありますし。

というわけで、もうひとつ、ブログ形式のものを創ってみました。(これのことです)
過去記事も全部移行しました。
デザインが違ってたり、カテゴリーにわかれてたり、何日分も一度に読めたりしますので、新しいブログの方が便利なところもあります。
タイトルを全表示してすきなところから読めるのはエンピツのほうが便利です。
内容は同じですので、お好きな方を読んでください。

とりあえず、2つの日記へのリンクを貼っておきます。
よろしくお願い致します。


・「窓のそと」~久野那美の日記(ここのことです)
・diary by 久野那美

ミラーサイト?を作ってみました。

アクセスが集中して困るような人気サイトだから・・というわけではもちろんなく。バックアップ用にもうひとつブログを作ることにしました。

この間から、えんぴつ日記システムが不調みたいで、サーバーダウンしたり、データが故障したり・・・といった事故が起きてる様子。
とても使いやすいサービスなので、どうやっても使えなくなる日が来るまでは私は使い続けるつもりでおりますが、だからこそ、万一のことを考えて手を打っておこうと思ったわけです。

「エンピツを使わなければよかった。」って思ってしまうのは嫌だから、最悪の自体が起こっても、そんな風に思わずにすむ使い方を考えようと。幸い、エンピツのバックアップサービスはかなり使いやすいですし。方式の違う二つの日記を持ってるのは、意外と便利なこともありますし。

というわけで、もうひとつ、ブログ形式のものを創ってみました。(これのことです)
過去記事も全部移行しました。
デザインが違ってたり、カテゴリーにわかれてたり、何日分も一度に読めたりしますので、新しいブログの方が便利なところもあります。
タイトルを全表示してすきなところから読めるのはエンピツのほうが便利です。
内容は同じですので、お好きな方を読んでください。

とりあえず、2つの日記へのリンクを貼っておきます。
よろしくお願い致します。


・「窓のそと」~久野那美の日記(ここのことです)
・diary by 久野那美

2011年12月19日 (月)

ロボット


Chara


思いがけないクリスマスプレゼントを頂きました。
木でできたロボットです。

嬉しかったので記念撮影をしました。
ロボットには12月がすごく似合う気がします。

そういえば、時計も、ロボットの仲間ですよね。
時計も、12月が似合いますね。

2011年11月12日 (土)

帽子とか花とか。

冬用の帽子を買った。
帽子を買うと、なぜか、よし!という気分になる。

ベージュと緑と紫と悩んで、紫にした。
そういえば、どれにするか悩むといつも紫にしてるような気がする。
ベランダにも紫の花が多い。今、うちのベランダは紫と薄い黄色の花でいっぱいになっている。紫って、決断を促す色なのかも。


**************

最近、ひさしぶりなこととはじめてのことが目白押しで、頭の中がタイムカプセルになっている。毎日せっせと掘り起こしている。

ものすごく付き合いが悪いので、ひさしぶりというと年単位、最近では10年単位だったりする。

そんなにあけて、普通に会ってくれる友達に心から感謝している。
10年ぶりの人とも5年ぶりのひととも、初めて会う人とも、それぞれ話したいことがたくさんたくさんある。


明日、10年ぶりの友達に会う。
来週は5年ぶりの友達に会う。そのあと20年前に一度だけ会ったひとと再び会う。その次の週は、10年前からやりとりしてたけど、会うのははじめてという人と会う。それから・・・・・。


明日は稽古。
ひさしぶりどころか、この数カ月、カップルのように(?)二人きりで会い続けてる片桐慎和子嬢と。
それはそれで、やっぱり話すことはたくさんたくさんたくさんあるのだ。

2011年10月17日 (月)

洗濯。

最近なんだか毎日ばたばたしていて、
頭の中がドラム式の洗濯機のようになっている。
(でも何もきれいにならない。むしろ散らかる一方。)

何にも考えない時間がほしくて、突然思い立ってひとりで温泉に行ってみた。バスを2つ乗り継いだところにスーパー銭湯仕立ての天然温泉があるのだ。小さな露天風呂につかってぼおおおおおおっと空を見る。
電線にすずめが1列に並んでいる。
今日はすずめは見ないようにしようと決めて反対側を向く。
すずめは疲れるから。
小さい岩の間からお湯が落ちてくるのをぼんやりと眺め、
ぬるめのお湯に溶けそうになりながら、じいっと、ただ、じいっと座っていた。静かで、とてもよい具合。

考えない。何も。お湯のこと以外は。

そうしていると、
不思議なことに、涙があふれてきた。
なるほど、これで頭の中のもの、洗い流すのか。

じゃぶじゃぶじゃぶ。

何も、考えずに、考えずに、じゃぶじゃぶしていた。
もちろん、静かに。音をたてるこなく。

温泉のいいところは、その程度では誰も、「どうしたんですか?!」
と聞いてきたりしないことだ。

お湯から出ると、またバスを乗り継いで帰ってきた。
家についたら夜だった。

夜、帰ってからお風呂に入らなくていい、というのは
すごく得した気分だった。

すっごく休日っぽい過ごし方をまたひとつみつけた。

2009年12月 1日 (火)

ちいさいくまのこと

私のいちばん古いオリンピックの記憶は、「モスクワ五輪」です。

でも、これは、いくつかの点で不正確な表現です。
ひとつには、当時まだ私には「オリンピック」という概念がいまいちよくわかっていなかったので、厳密に言うとそれがオリンピックの記憶であると分類できるようになったのはそれから何年もたってからだということです。(リアルタイムでわくわくしたわけではない)
そしてもうひとつは、この大会を私はテレビで実際に見ることができなかったということです。

ですから、開会式からほとんどテレビにかじりついてみていた「サンフランシスコ五輪」が、実際はオリンピック(テレビ)(観戦)デビューなのですが、それでも、「モスクワ五輪」が子供のころの私に残した印象はそれを上回るものです。将来年をとって、痴呆が進んで、いろいろな記憶がなくなっていったとしても、オリンピックに関しては、最後まで残っているのは「モスクワ五輪」の記憶だと思います。

見ることのできなかった大会のいったいなにを覚えているのかというと、
くまです。ちいさいくま。

ミーシャと名乗るちいさいくまがある日突然(と私には思えた)テレビに再三登場するようになりました。彼女はアニメの主人公になるでもなく、チョコレートや洗剤を宣伝するでもなく、そういうことをしているほかのちいさいくまたちとはなんだか「別格」な感じで、そこにいました。彼女が画面に登場すると、少し緊張して、どきどきしました。

ある日ふと気づくと、そのちいさいくまはいなくなっていました。
そして、そのことの理由を説明してくれるひとは誰もいませんでした。
実際のところ、ちいさいくまはバックにおおきな使命を抱えており、ほんとうの問題はその使命のほうなのであり、そちらが消えてしまったことはおそらく多くのメディアや人々の噂の中で説明がなされたのだと思います。私自身、両親が話しているのを聞いたりして知っていたのかもしれません。

でも、それは当時の私にはあまり縁のない、すごく遠い世界の話でした。毎日見ているちいさいくまの話ではありませんでした。

くまの素性を知らなかった私は、ある日忽然と姿を消したくまのことを誰も何も語らないことが不思議でした。そのうちだれかが説明してくれるのだろう、と思っているうちに、何年もの時間がたち、そのうちそのくまがほんとうにいたのかどうかさえ、よくわからなくなってしまいました。

誰に何を聞けば何がわかるのか、わかりませんでした。
ただ、私はそのときはじめて、
「世の中にはある日突然、ふつうにいなくなってしまうものがあるのだ」ということを知りました。「ちいさいくまは、そのくまを見ている人が考えたこともないような「くま以外の」事情である日突然ふつうにいなくなったりするのです。


なにかがある日ふと消えてしまうとき。
そのこと自体はたいして話題になることもないまま、普通になにかが消えてしまった時、私はいつもこのちいさなくまのことを思い出します。

2008年4月10日 (木)

「・・で、最近は、何?」

8年ぶりに友達に会った。
最後に会ったのは20世紀の末だった。
だから、私たちはお互いの電話番号と住所しか知らなかった。

彼女とは、周りがみんな私たちより年上なのが当然だった頃に、お芝居の現場で出会った。大嫌いなものがよく似ていたので仲良くなった。それから年に数回会って、何時間も結論のない話をした。彼女と話をした時にしか考えないようなことばかりを延々と話した。そういう会話は、自分の内側も外側もぐんぐん軽くやわらかくほぐしてくれる。言葉を軸にして自分自身の位相があっちこっちぶんぶんと無秩序に飛び回るのが心地よかった。軸足がくるくる変わり、遠くへ遠くへと行けるのが心地よかった。

私がめずらしく忙しくしていた3年の間に彼女は日本を離れ、気がつくと会う手段が無くなってしまっていた。どこかにいるんだろうなと思っていたけれど、どこにいるのかわからないまま、8年たった。どこにいるのかわからない相手と話をする方法を8年前のわたしたちは持ってなかった。折に触れ、思い出してはいたんだけれど、機会がないままに時間がたってしまった。

突然どうしても彼女と話をしたくなって、どうしても彼女と話をしたくなって、手当たり次第に手がかりを探してみた。絶望的かと思えたのだけれど、8年の間に、世の中はおどろくほど狭くなっていた。インターネットやメールや国際電話の普及は空間だけでなく、時間の切れ目も埋めてくれた。探し始めて3ヶ月。飛行機で12時間の海の向こうからメールが届いた。真夜中に、時差を飛び越えた電話のベルが鳴った。

そして、大阪で再会した。
不思議な感じだった。
人と出会うということは、いったい、出来事なのか世界なのか?

  ******************

それなりに大人になった私たちには、困ったことや聞いて欲しいことがお互いにたくさんあって、久しぶりにそういうことを相談しあう時間を持ちたかったはずなのだけど、話し始めてすぐに、すでに言葉にも問題にもなって解決するほかしようのないそういった問題を交換しあうのが面倒になってしまった。そしてやっぱりだらだらととりとめなく話を続けることになった。思いついたことを思いつくまま、今思いつかなければ一生考えることもないだろうことばかり、延々と話し続けた。

そんな時間が一段落ついて。
たばこをふかしながら、彼女が言った。
「・・・で、最近は、何?」

昔から、彼女は会うたびにその言葉を口にした。
―最近、いちばん気になっていることは何なのよ?教えてよ。―

「ひまわり。」
おもわず私は答えた。
そしてひまわりの話をした。
ひまわりの話はアルプスの話になって、スペインの話になって、椅子の話になって、帽子屋さんと靴屋さんの話になって、電気屋さんで待ち合わせをするひとたちの話になって、家電を買う話になって、「おばあさんマジック」の話になって、ガーデニングの話になって、映画の話になって、踊るペンギンの話になって、アーヴィングの話になって、セロトニンの話になって、80歳になったら実現させようというある企画の話になって、古いホテルの話になって、らいよんちゃんねるの話になって・・・・・・・・・

本人達以外にはほとんど何を話してるのかわからない会話なのだけど、それまでどこにもなかったことばがあとからあとから生まれてくるのがぞくぞくするほど心地よくて。時間がたつのはとても早かった。

とても中途半端な時間に、「じゃあまた」と梅田で別れた。
彼女は明日、東京へ発つという。そのあと海を渡るという。
私の行った事のない、遠く離れた国で、彼女は今暮らしている。
次に会うのはいつになるだろう。

         **********

とりとめなさすぎる話をとりとめなく書くことはどうにもなぜだか難しくて、そんなわけで今日の日記はこんな具合になってしまった。
自分で読み返しても何がなんだかよくわからないのだけれど、なんとなく、記録しておきたいのでこのままにしておきます。

もう少し時間がたてば、少し違った言葉になって、別のものを理解したり発見したりすることに役に立つような気がしています。

そしたらまた書きます。

2006年7月 1日 (土)

幻の青い染料と伝説のサッカー選手

怖い夢の話です。和風の懐古調の、怖い夢を見ました。
山深い里に古くから伝わるという幻の青い染料と、伝説のサッカー選手をめぐる猟奇殺人系の物語でした。ストーリーはあまりに複雑で覚え切れなかったのですが、夜更けに、縁側で老婆が「こより」を1本1本丁寧に青く染めている光景がとても怖かったのです。うすぼんやりした月明かりの下に並べられた「こより」はくすんだ深い青色をしていました。見たことのない、哀しくて切ない青でした。

この、陳腐で不可解な物語の種のひとつはおそらくW杯なのだろうと思います。
わたしはサッカーの知識が全然なくて、選手の名前もあんまりしらなくて、もちろん試合を見たこともありませんでした。かといって、特に嫌いな競技だというわけでもないので、世の中が盛り上がっているときにはそれを邪魔しないように慎重にすごすようにしていました。4年前の日本戦の日は町中がひっそりしていたので普段なら混みそうなところへお買い物にいったりしてすごしていました。
それが。
今回初めて、「サッカーの試合」を最初から最後まで見たんです。見ようと思ってみたわけではなく、むしろ、見ようと思ったり見ないでおこうと思ったりするほどの知識がなかったために結果的に見てしまうことになった・・という感じです。つまり、たまたまテレビをつけたら試合が始まろうとしていて、それは「日本×ブラジル戦」という、話題の試合らしいことがわかったので、他に見たいものがあるわけでもないのにそれがわかってからわざわざチャンネルを変えるのもなんだか恣意的な気がして、そんな恣意的な態度をとるほどの愛憎をサッカーに対して持つことができない癖に「チャンネルを変える」という能動的な態度をとるのはなんだか憚られてしまって。・・・チャンネルを変えることができなかったのです。そういえばわたしはときどき、「特にやめる理由が思いつかない」という事情で、偶然のできごとに深く関わってしまうことがあります。縁とか運とかいうのはそういうものなのかもしれません。未知の世界を経験するのはひさしぶりで、ちょっとわくわくしたのは確かです。ルールをよく知らない上に、騒々しいのが苦手なので音を消してみていたこともあって、何が起こっているのかをリアルタイムで正確には理解できなかったのですが、映画やドラマやお芝居を観ているときのように、いろんなことを考えたり思い出したり思いついたりしながら、飽きずに見ていました。

発見したこともいくつかあります。
昨今言われている、「ワールドカップに備えて大型テレビを購入する」ということの意味がずっとわからなかったのですが、テレビ放映を見てはじめて納得しました。以前の私は、「テニスや卓球ならともかく、あんなおおきなボールをやりとりするんだからそんなに大きな画面じゃなくても見えるでしょうに。」と思っていたのです。間違っていました。グランドがあんなにも広いなんて知らなかったんです。あんなに広い場所の随所に人が居て、しかもみんな競技中の選手で、つまり「なにかをしている最中」で、ボールはそのひとたちの間を絶え間なく渡っていくのですね。ボールやファインプレーを逃さず撮るにはできるだけ大きな視野を確保しなくてはなりません。卓上をカバーしていればたいていの出来事がカバーできる卓球とはわけが違います。サッカーボールは相対的に卓球の球よりもずっとずっと小さかったのです。大型テレビの謎が解けたことは大きな収穫でした

一方、不思議に思ったこともあります。
・なぜ、中継を見ながらピザを食べるのが好まれるのか。
・なぜ、「残っている時間」ではなく、「終わった時間」が表示されているのか?
・キーパーはなぜ、味方の他の選手と違う服を着ているのか?(同じ服を着ている方が味方のゴールがどっちなのかが分かりやすいと思うのですが・・)

(詳しい方教えてください)

そういうわけで。私なりにいろいろと考えながら見ていたのではありますが、結局。「青い服を着た選手たちが広大な場所で強敵と闘い、負けた。」という、そのことだけがとにかく強く印象に残とったのだと思います。あの夢から逆算すると。なんで和風レトロなのか、とか、なんで老婆が月明かりなのか、なんで「こより」なのか、はわかりません。きっと、それらにはまた別の「種」があるのだろうと思います。実際。サッカーは怖くはなかったですし。
夢って不思議です。次の機会には、また違った目でこの競技を見ることができるような気がしています。未来に楽しみが増えるのは幸せなことだと思います。

2006年4月17日 (月)

怖い夢を見た。

ピアノのレッスンの帰り道です。
どうやら私はある先生についてピアノを習っているのですが、
その先生は大変不機嫌で、口数が少ないのです。
レッスンが終わりに近づくと、先生は無言になります。
生徒である私も、手を止めて先生の言葉を待ちます。
3分・・5分・・10分・・・
何も起こりません。
ピアノのレッスンをする場所と言うのは普通、ピアノの音がよく聞こえるように静かな環境であるものですから、ピアノの音と人の声がどちらも聞こえないと、しいんと静まり返った「無音」の場所になります。
音のない時間が長く続いた後、ようやく、先生が無表情にうなづきます。
どうやら、レッスンはおしまいのようです。
私は教本や何やらをかばんにつめ、一礼してその場を去ります。

外は雨です。
雨が降っていて。
私は傘をさして、てくてくと歩きます。
雨なので、町には人の気配がありません。
雨なので、道はぐっしょりぬれ、水溜りができています。

半端な太さの道をてくてくと歩いていると、小学校のグランドの横の道に出ました。端が見えないほど広いグランドにはしっかりとラインがひいてありました。あれはたしか、トラック、とかいいましたでしょうか?

トラック、を私は見ています。
ただっ広い、人気の全くないグラウンドにひかれたトラック。
空は雲で覆われていて、真っ白です。
地面は雨を受けてぐっしょりと湿っています。
ぽつぽつぽつと振り続ける雨が水溜りの表面を絶え間なく跳ねています。
私は傘をさしています。
てくてくと、歩き続けています。
どこへむかってあるいているのかわかりません。
おそらくうちへ帰るところなのでしょうが、どれだけ歩けばうちへつくことができるのか、わかりません。
空からは雨が降っています。
むこうの方へ目を凝らしても、雨が降っています。
足元へ目を凝らしても、雨が降っています。
どこまでも雨が降っているように見えます。
いつまでも振っているようにも見えます。

ずんずんと、恐怖がつきあげてきました。
身体の奥から這い出てきて、皮膚の下を這い回るような、嫌な嫌な感じ。
それは肌の表面より外へ出て行くことはけっしてなく、排出されることのないままどんどん湧き出して身体中を満たしていく。
ただ、ひたすらに怖い。

何に対する恐怖なのかわかりませんでした。
ただ、世界がとりとめもなく広くて時間がとてもとりとめもなく長いことがどうしようもなく怖い。でも、それって疑似体験に過ぎないはずです。
雨はいつか止むはずで、トラックは一目瞭然あきらかに閉じてるのですから。

怖くて、耐えられなくなった私がやったことは、とても不思議なことでした。

もしもグラウンドの、トラックの片隅に、「傘を差した誰か」が居たらとしたらどうだろうかと考えたのです。ふと頭をかすめたその考えは、身体に充満した恐怖を少し、軽減するような気がしました。
ですので、「傘を差した誰か」がそこにいることに決めてみました。
すると、次の瞬間には、グラウンドの片隅に、傘を差した誰かが立って、こっちを見ていました。夢の中だから、その辺はわりと融通が利くのですね。

知らない人でした。そのひとは、なにをするでもなく、もしかしたらこっちをみているわけでもないかもしれなく、ただ、雨の中に傘をさして立ってるのでした。それ以上のことは、どうでもよかったんです。だから、その人はそれ以上のことは何もわからない人として、「傘を持って雨の中に」立っていました。

その人のことを、私はとても大切に感じました。
とても、とても、大切に感じました。

ああ。これだったらもしかしたら大丈夫かもしれないと、少し救われたような気分になりました。何から救われたのか、少しというのがどのくらいなのかははっきりしませんでした。

ものすごく怖い思いと、そこから奇跡的にほんの少し救われた気持ちを両方持ったまま、私は雨の中を歩き続けました。振り返ることはありませんでしたが、そのひとは、その間ずっと、その場所で傘をさして立っていたはずです。
そうに違いないのです。なぜならば、私はそこからてくてくと歩いてうちへ、向かうことができたからです。

だけど怖かった。世の中のなにもかもが無意味になるほど怖かった。
(あの傘のひとだけは無意味ではないような気がするけど、でもその意味は全然分からなかった。)
怖くて。怖くて。怖くて。もう、いいよね?いいよね?
と思っていたらようやっと目が覚めました。

ずいぶんうなされて、汗をかいていました。

私はときどきこういう妙な具合の怖い夢を見るのですが、
こんな風に書き出してみても。どこが怖いのかを客観的に表現するのは難しいです。ひとに話したことろで「へえ。面白いね~。」と言われたり、「・・ふうん。」と流されたりします。楽しんでもらえるのはよいことなのですが・・・まあ、実際怪我をしたとかそういうこともないわけですし。

朝起きてから昼過ぎまで怖くて身体がこわばってるのですが、こういう体験って、どうしたらひとに伝えられるのでしょうか。ボキャブラリーが欲しい!いえ、もっと欲をいうならば、こういう怖い体験をせずにすむ方法があれば知りたい、と切に思うのですが、でも、おそらく、本人が思うほど対してことではないのだろうな、とも頭の片隅で思ったりもするのです。

でも、少なくとも、言葉にすると恐怖感が少しずつ薄れていくような気がします。なので、今日は突然ですがこんな夢話です。
書いているうちに、「傘のひと」が誰だったのか、ちょっとわかるような気がしてきました。読んでくださった方に感謝。すいません、怖い話で・・・
いや、怖くないのかもしれませんが、それならそれで、ご迷惑をかけずにすんで良いのかもしれません・・・・。

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