カテゴリー「公演・台本」の78件の記事

2015年5月21日 (木)

今年は2階建て

来年1月にRecycle缶の階の公演が決まり、現在、出演者と演出助手さんを募集しておりますが、

なんと今年はもうひとつ、公演が決まりました。

8月1日に富山県の利賀村でテネシーウイリアムズの「財産没収」を上演します。
利賀演劇人コンクールに参加するのです。

「演出家」のコンペはもちろん、「演出家」として参加するのは初めての経験で、
他の方の書かれた戯曲を上演するのも初めてで、海外戯曲も初めてで、利賀村に行くのも初めて…。何もかも新しい経験を、この年になってやってまいります。

私は「財産没収」を空の話だと思っているので、「空の階」という名前にしました。現在、参加者は、

演出:久野那美
出演:片桐慎和子(突劇金魚)、七井悠
舞台監督:脇田友
照明:根来直義
美術:濱田真輝
演出助手:浅田真那
です。
このチームに参加を希望してくれる舞台監督さんと演出助手さんを募集しています。ご興味持ってくださった方、詳しいお話をさせていただきますのでメールフォームよりご連絡くださいませ。


2014年9月19日 (金)

12月の缶の階公演のご案内

12月に大阪市内で劇場を舞台にしたお芝居の公演をします。

演劇をあまり見たことないお客様にもぜひ見て頂きたいと思って創りました。演劇や劇場をテーマにした作品です。劇場の舞台が舞台の「舞台編」と、客席が舞台の「客席編」の2つを一挙上演します。上演時間1時間です。
片方だけを見ることも両方見ることもできます。
土日月火の朝・昼・夜と公演があります。小劇場気分満載のウイングフィールドと座りやすい椅子席で初めてでも観劇し易い船場サザンシアターで続けて上演しますのでお好きな会場で見ていただけます。

出演者はどちらも二人。大阪、京都、東京で活躍中の30代、40代の舞台俳優です。劇作は私(久野那美)が担当しています。訳あって、14年ぶりの主催公演です。

演劇ってどんなことするの?俳優って?台本って?舞台スタッフって何するの?劇の登場人物は劇にとってどんな存在なの?…とかいうことを「へえ」と考えながら見ていただけるお芝居です。

10月より劇場での宣伝を始めます。
劇場へはあまり行かないという方に広くお知らせする方法がわからないのですが、そういう方にぜひ見ていただきたいお芝居です。公式ウェブサイトにて俳優やスタッフの紹介、稽古場日記や上演台本も公開しています。ご覧いただいてもし、ご興味持っていただけましたら、ぜひ、劇場へ公演を見にいらしてください。

公式ウェブサイトにてチケットを販売しております。http://p.tl/iCSV


また、観劇が初めてで不安な方、行こうか迷われている方、何でもご質問にお答えいたしますのでご遠慮なくメールでお問い合わせください→cannokai@gmail.com もちろんリプライいただいてもokです^_^;
たくさんの方と劇場でお会いできますように。

今回、毎回の席数がかなり少ないので、ご希望の日時が限定されている方、遠方から来られる方はどうぞお早目にお申込み下さいませ。

2014年8月13日 (水)

クチミミ#1 終了しました。

無事終了いたしました。
ありがとうございました。

今回はじめて、「タイトルをつけないまま公演する」という長年の夢を叶えることができました。
とりいそぎ、写真をいくつかUPします。

※3本立てです。
動画からの切り出しなのですが、他の方の演出した作品はうまく切り取れないので、とりあえず私のパートのぶんだけUPします。

Kuchimimi1


Kuchimimi2

Kuchimimi3


Kuchimimi4

Kuchimimi5


2013年7月22日 (月)

【クチミミ稽古日記・2日目】間でバランスをとってはいけない

稽古2日目。

それに先だって、台本の改訂をしました。
先日の稽古でわかった一番重要なこと。
読み方のせいか、文章のせいか、………長い。長すぎる。

読み方は工夫してみるとして、それにしてもやっぱり言葉に無駄が多い。

文章の質にあった長さってあると思っているので、必要な長さを削って無理に短くするのは反対だけど、私の文章は長いと碌なことがないので、削れる限り削ることにしています。なので、毎回、稽古のたびに台本はどんどん薄くなります。そもそも、最初に全体を決めてから適切に書き始めて無駄なく書き終わる、という技能がないので、とにかく書いてからいらないところを削らないと、いらないところの方が多い状態になってしまうのです。

なので、稽古の前にせっせと分量を削減し、出演者に送りました。
ついでに本番を見据えて、縦書きにしました。

稽古までまだ少し時間があったので、「演出プラン」を考えることにしました。

前回の稽古の際に、
「今回、どんなことをやってみたいか」という話を出演者と二人でしていて、
その中で、

・ひとり音楽劇にする。
というのがあったのですが、それについて真剣に考えてみました。

話し合いの時には、
・読み手が楽器を携えて、台詞の合間に演奏する。

という案があったのですが、具体的に検討してみるとものすごく無理があることがわかってきました。問題は、本と台詞です。

まず、手軽に演奏できて雰囲気のある楽器~オカリナとかリコーダーとかハーモニカ~は、演奏している間、本を読めない、という点で却下されました。
それなら、手だけで演奏できるキーボードとか木琴とかはどうかと考えたのですが、ずっと<本を持っている>という朗読の壁の前に、やはり却下されました。結果的に「ひとりで朗読しながら演奏する」というのは相当工夫しないと難しいということがわかり、断念したのですが、でも、これは今後何らかの形で実現させたいと思いました。

※注 つまり、今回は楽器を演奏することはありません。


そうこうしているうちに、稽古の時間になりました。

先日できなかったプロローグの部分の稽古から始めました。
上空から物語がふわっと降りてきて、役者さんを通して客席に抜けていくような感じにしたくて、出演者の片桐さんにいろいろと無理を言いました。
最近、たくさんの舞台に客演してぐぐっと実力をつけた彼女は、私が、
「こんな感じにしたいんです」と云うと、
「はい。」と云って、いろいろバリエーションを工夫して見せてくれました。
彼女と一緒にお芝居を創るのは4回目ですが、毎回、前回まではなかった新しい仕方で関わることができるのがとても面白いです。
役者さんも変わっていく。私も変わらねば。と改めて感じました。


この日のいちばんの発見は、「リズムをとるための間はニュアンスを吹きとばしてしまう」ということでした。
台本を短くしたにもかかわらず規定時間をかなりオーバーする始末で、これはもしや読み方の問題ではないのだろうか?という話になったのです。

私の文章の癖なのだと思いますが、電車のガタンゴトンくらいのリズムで一定の波ができてしまって、読むのは気持ちよく読めるみたいなのですが、間延びして眠くなるのです。そして長い。そして、先日の稽古日誌の言葉で言うと、「物語のコスプレ」になってしまって意味が分りにくいのです。

「一定の間隔で間をとると、長いし眠いし意味がわからないので、とにかくその間を詰めることを考えましょう。」
と私は云いました。
片桐さんは、「はい。」と云って、もう一度読んでくれました。

不思議なほど、さっきと同じでした。

「詰まってないですね。」と私が言うと、
「難しいですね。」

私は、コスプレ向きの台本に責任をとるため、間を詰めるべき文字の間に「ツメ」印を入れていきました。片桐さんはそれをじっと見ていました。

印を入れた本を持って、もう一度読んでもらいました。
最初からかなり意識してくれたためか、今度はかなりうまくいきました。
時間もかなり短縮できました。

同時に。もうひとつ、大きな変化に気づきました。

間を空けることでバランスをとっていた言葉は、その間を詰めるとバランスを崩して倒れそうになります。倒れてしまっては読めないので、読むときに無意識に、新しい方法でバランスをとろうとするのです。その結果、言葉に強弱や緩急や音の変化が現れてきました。間をとる可能性が高いのはだいたい助詞の前後ですから、助詞の読み方が断然変化します。なんというか、無彩色だった「てにおは」に、色がつく感じ。そして、それに引っ張られるように、助詞の前後の言葉のアクセントや強弱や音の長さが微妙に変化して、さっきまではなかった「ニュアンス」が加わっていたのです。

これは感動的な発見でした。早速役者さんに伝えました。
片桐さんは、
「へ~え。」と云いました。

読んでもらう度に、最初のバージョンとのニュアンスの差はますます大きくなっていきました。そして長さも短くなっていきました。
<間をあけることでバランスをとると、バランスをとるために必要な音のニュアンスが吹き飛んでしまうのだ>ということを確信しました。


その後、プロローグをおおまかに仕上げ、今度は最初から最後まで通して読んでもらいました。

が。

…………長い。

短くした台詞をさらに、短く刈り込んでいきました。
カットしてしまえば最初からなかったかのように見える台詞ばかりで、自分の文章の冗長さが情けなくなりました。

そしてもう一度。

本を縦書きにしたことが功を奏したのか、先日よりもぐっと立体的で開放的な朗読になっていました。
「縦書き。いいですね。読みやすいし。」と、片桐さんも満足していました。
そして、たぶん、家で特訓してきてくれたのだと思いますが、問題だった学者の台詞が、ずいぶん脱コスプレして聞きやすくなっていました。

その後、今一度、音楽を入れることについて話し合いをしました。
入れるならここかな?というところをいくつか挙げて、前後を読んでもらいながら検討しました。何度も、ためしてみました。

最終的に、「この物語には音楽を入れるタイミングがない。」という結論になりました。理由はいろいろあるのですが、要するに入れるより入れない方が聞きやすい、ということです。ただ一カ所だけ。入れるとしたらここだね、という箇所があったのですが、入れる音に条件がありました。そういう音楽が見つかったら検討する。見つからなかったら断念する、ということで落ち着きました。

そんな感じで、2日目の稽古も無事終了しました。(実際はもっといろいろダメ出しをしていますよ)

稽古場日記というのは、すごくむずかしいです。
ほぼ実況で書くことになりますから、結論から逆算して情報を取捨選択することができないのです。そういうわけで、このように、たいへん混沌として読みにくい文章になってしまいます。しかも、混乱してる間に混乱してることを書くので、文章が恐ろしく冗長で切れが悪いのです。
でも、ドキュメンタリーを結末から逆算して創る、というのもおかしな話なので、多少無様ではありますが、できるだけもれなく記録していくことにしました。先日の日記を読んで、「はじめて演劇をした高校生のようだ」という評を下さった方がおられましたが、まあ、そういうのがあってもいいじゃないかと
続けることにしました。今回、3本立てということもあり、1作品あたりの稽古の回数が少ないので、連載というよりは読み切りのような日記になると思います。

よろしければ最後までおつきあい下さい。
そして、公演をぜひ、見にいらして下さいませ。

ふう。やっと書き終わった。

★クチミミ公式公演案内とご予約受付は:→こちらhttp://kmm.kiwamari.org/

2013年7月19日 (金)

【クチミミ稽古日記~1日目~】朗読のコスプレ?

朗読公演の稽古をしています。

本を読むひとのお芝居は作ったことがあるけど、舞台の上でほんとうに本を読むのは初めてで、何から何まで試行錯誤の4時間。

朗読家のひとにとっては当たり前で考えるまでもないことなのかもしれないけど、やることすべてが「ほお。」「なるほど」「へえ」「そんなっ?」の私たちは、本の持ち方と座り方・立ち方だけで稽古の半分くらいを使って試行錯誤していたのでした。

もうひとつ、改めて考えたのが、<言葉に感情を込めるということ>について。演劇にも台詞はありますから、そんなことは当然、これまでにも考えたことがあったはずなのに。言葉だけの世界になると、俄然クローズアップされてくるのです。

「声を出して物語を読む」という行為には子供のころからなじみがあるので、「あんな感じね」とイメージしやすいのかなと思います。「舞台に立って台詞を言う」ということはそれに比べると一般に馴染みのない行いなので、ちょっとハードルがあって、ハードルのところで多少考えるために「朗読」ほど、「あんな感じね」感少ないのかもしれません。

読んで内容を理解する前から共有できるような<あんな感じね感>が、内容を際立させるはずはなく、そんな架空の<朗読幻想>に沿って気持ちよく読んでしまうと、うっかりすると<朗読のコスプレ>のようなものになりかねない。<読んでいる>ことはすごくわかるけど、何を読んでるのかいまいちわからない朗読になってしまう。

そういうことに気づかせてくれた稽古でした。

まずは手当たり次第、ためしてみるかと思って(やるのは出演者ですが)ちょこちょこ注文をつけて試してもらっていたのですが、
「内緒話バーション」のとき、学者のセリフがとても聞きやすかったので、

※注 この物語には、学者の卵と瀕死の兎が出てきます。

「何をしました?」と出演者の片桐慎和子さんに、聞いてみました。
「何を?…えっと…感情を込めることを考えてませんでした。」

ほお。

そういえば、読んでもらっていると、兎の台詞のほうが断然意味がわかりやすい。この兎は何を考えてるのかわかりにくいので、既存の感情をこめようがないのです。そもそも瀕死の兎がしゃべるときの感情のこめ方を誰も知らないので、こめようがないのです。
なので、言葉の連なりを手掛かりに発音するしかないのです。

一方、学者のほうはなまじっか日本語を話す人間で、瀕死でもないので、うっかりすると<感情を込めて台詞を読もうと>してしまいます。知らないひとの知らない感情を容易に込められると思ってしまう時点で、実はどんな感情なのかあまり考えてないということなのかもしれません。
どうにも、学者の台詞がわかりにくかった理由はもしや<感情を込めて>読もうとしていたことに原因があるのか…???

前回の(道の階の)ときと同様、出演者がひとりなので、稽古場には私と出演者のふたりだけです。ふたりで一生懸命考えてみました。

その結果、分ったこと。

読む人が自分の知ってる世界の<感情をこめて>読んでしまうと、登場人物が物語の中で何を考えてるのか、わからなくなってしまう。読む人の感情を登場人物の言葉を通して表現しても、それは物語を理解する助けにならないのです。読む人は物語の中にいる人ではないからです。

さて。
考えるのは一緒にできても、演出する係は私なので、ダメ出しは私が出演者に言葉で伝えなくてはなりません。出演者も、演出家がダメ出しするのを待っています。

※ダメ出しって言葉はあんまり好きじゃないのです。目的は要望や意見を伝えることであって、ダメなところだけ指摘するわけじゃないと思うので。もっと前向きな表現はないでしょうか。


混乱の末に、こんな風に(ダメ出し)してみました。

「可能な限り、分りやすく読もうと思わないで台詞を読んでもらえますか?」
「…今のだとわかりやすかったですか?」
「わかりにくかったです。このままだと、とてもわかりにくい。」
「???」

ひどい会話になりました。
自分の表現力の乏しさが悲しい。そして申し訳ない。ごめんなさい。

でも、出演者の片桐慎和子さんは、平然と根気強く話を聞いてくれました。
その後、逆に「地の文」こそ「どこの誰でもない人」として客観的に読むよりも、私たちに理解できる感情を込めて読む方がわかりやすくなるのではないか、という話になり、<地の文の人の感情><兎の感情><学者の感情>について考えながら1回読んだらタイムアップで稽古が終わってしまいました。


おそろしく要領の悪い稽古場で、もしかしたら稽古とは言えないようなことをやっているのかもしれないのですが、でも、これ、楽しいんですよ。かなり。
稽古場に行く前と帰るときで、台本の見え方が全然違う。
登場人物の見え方も全然違う。
稽古する度、作品の全体像も目指すべき地点も変わっていく。
それまで考えたこともなかったことがたくさん、稽古場で共有されていく。
棚を作るのと同じで、これまではたしかに見えてなかったはずのものが、もはや最初から当然そこにあったものにしか見えなくなっていく…

その状況を許してくれる出演者に恵まれてきたことに心から感謝しています。

だって、言い方を変えれば、稽古に先立って具体的なビジョンがなく、全体像も、見えていて当たり前のことも見えないままに進めていくってことですから。いや、私もさすがにこの年でそれはまずい、と思って、最近、機会あれば別の演出家の方の稽古を見せてもらいにせっせと稽古場通いしているのです。
だから、そのうちもうちょっと段取りよくなるはずとは思うのですが…。

でも、だからこそ、今は誰も知らないけれどきっとあるはずの「完成形」を掘り当てるべく、あきらめずに精進しなくてはと思うのです。なにが何でも見つけ出さねばと思うのです。

……そんな感じで、クチミミ稽古、1日目は終了したのでした。
帰ったらぐったり疲れて、焦点が定まらない感じで、そしてなぜかわからないのですがひどい筋肉痛でした。


稽古のときにうまく言葉にできなかったことを、帰ってから日記を書きながら考えてみました。
要するに、

「知らないことを知っているかのようにさらっと説明すると余計に分りにくくなる」
というシンプルな問題なんだなと思ったのです。この物語の中にしかない<理由>や、この物語の中の登場人物にしかない<感情>が、物語の中にちゃんと見えるようにしたい。そのためにはどうすればいいのかを考えて工夫しないといけないということなんだと…。

翌日、出演者の片桐慎和子さんに、この日記に書いたことを一生懸命伝えたら、ふむふむと聴いてくれて、

「演劇も同じですね。恐ろしいことですね。」
と云われました。たしかに。


そして、
はっ。と気づいたのです。

今回クチミミの久野パートで読む「王国」という本の中に、

王国のことを誰もが知っていましたが、王国については誰も何も知りませんでした。

という一文があるのですが、つまり、この王国って、もしや…!

役者さんに、
「あの物語のことが、ちょっとわかったような気がする。私たちが今やろうとしてるのは、つまり、『王国』の研究なんじゃないかと…」
と云いましたら、

※注 「王国」は、幻の「王国」のことを研究している学者の卵の物語なのです。


「へえ~。そうなんだ~。」

と感嘆の返事が。

全体像にはまだ遠いですが、目指すべき方向が少しずつ、見えてきたような気がしました。
私パートの稽古はあと4日です。
着々とはいきませんが、よいものを見て頂けるよう、地道にがんばります。


ちなみに、「王国」の中にはこんな一文もあります。

ここから先はもう、何を頼るわけにもいきません。出会った人に尋ね、出くわした出来事をよりどころにして進んでみるしかないのです。

2013年7月 3日 (水)

クチミミ公演のご案内

ことばのことを考えています。
ことばだけでは創れないけれど、ことばを無視しても創れないので、ことばを素敵に出し入れする方法を考えています。

台本→演出家→語り手→聞き手
 
と、ことばが渡るとき、いったいどこで誰が何をしているのか?
色々と、わからないことがあるのです。そこで。

小さなカフェで小さなお話しの会をします。わからない時は、まずはシンプルに小さく始めてみるのがいいかと思うのです。

三人がそれぞれ短いお話を用意して、ひとりの女優に託してみます。
20分が3つで合計1時間程度の小さな催しです。
ことばを、読んだり読まなかったり語ったり語らなかったり話したり話さなかったり演じたり演じなかったりします。

吹田、関大前にあるカフェdropさんが場所を提供して下さいました。

あとは、お話を聞く人を待つばかり…

*******************:

というわけで、お話の会をします。
4人の共同プロデュースです。
なかなか見られないメンバー構成だと思います。
いろいろありまして、突然沸いて出た企画で、現在、必死にチラシやwebを作っています。その間にもお問い合わせがあったりするので、とりあえず、こちらに詳細を書きます。


出演:片桐 慎和子

構成・演出:1. 久野那美(缶の階) 2. 山本握微(劇団乾杯) 3. 筒井潤(dracom)

開演日時:2013年 8月3日 (土)11時 /18時 ・ 8月4日 (日)11時 /18時
※計4回公演 / 開場は各開演の30分前より
※上演時間は約1時間強(3作品×20分)

場所:カフェ drop ( ドロップ )---大阪府吹田市山手町3-7-5 利導荘1F

交通:阪急千里線「関大前駅」
※南改札口出て左手側(東側)出口へ地上を出て左手(北側)に見えます
※梅田より約20分。河原町より約50分

料金:500円(前売・当日共通)
※各回20席限定。 お席に限りがありますので、早めのご予約をお勧めします。

500円は、クチミミ公演の入場料金です。(飲食代は含まれていません。)飲食ご希望の方は、営業時間内に各自カフェメニューよりご注文&お支払い願います。カフェの営業は朝の公演終了後~夕方の公演開場の間(12:30~17:00)ですので、公演時間は注文できないのですが、よろしければ、ぜひ、朝の公演のあとや、夕方の公演の前にご利用いただければと思います。
(ケーキが美味しいです。たくさんの種類の紅茶があります。)

以上、簡単ですが、ご案内まで。

ご予約受け付けております。

★クチミミ公式公演案内とご予約受付は:→こちらhttp://kmm.kiwamari.org/


これから準備を始めます。
他の作演出のひとと一緒になにかやるのは、実は、はじめてなのです…。

2013年4月22日 (月)

漠然と缶の階について。(ご案内と募集)


来年。
2014年9月~12月の間に、缶の階という集団で演劇の公演をします。
劇場を舞台にしたお芝居の二本立て公演です。
劇作と演出を私が担当します。

公演をするきっかけにはいろいろあると思うのですが、今回は、役者さんから漠然と持ちかけられた話に私が漠然と乗ってみた、というのがきっかけのひとつです。

でも、完全に漠然としていたのは「乗ってみようかな?」と思っていた間だけで、乗った瞬間にはもう、真の「漠然」ではなくなっていました。台本ができたらさらに漠然度は低くなり、別のひとに声をかけたりしているうちにもっと低くなり、今ではもう、最初からこうなることに決まっていたのだとしか思えなくなってきています。

何か始めるときって、そういうものなのかもしれません。

漠然は、×漠然 ×漠然×漠然、と乗算するたび数値が下がるのです。ひとりで漠然と考えていたときには誰の頭の中にもなかったことが、ひとが集まるとどんどん具体的になっていきます。(どこからやってくるんでしょう?)
そういうわけで、現在、さらに漠然度をさげるために話し合いとメンバーの募集をしています。

縁のあったひとと、漠然としたものを持ち寄って、ちょっとずつ、不器用に、じっくりのんびり創りたいと思っています。だから公演は来年の後半です。

出演者2名(男性)と制作担当者を含む、あらゆるものを募集中です。

具体的にならないと他のひとを誘いにくいけど、誘った人の漠然と私たちの漠然とを混ぜてそこから具体的にしたいなというのもあるし、難しいです。これは、深刻なジレンマです。

そういうわけで、まだまだ漠然としたお知らせですみませんが、興味のある方おられましたら、ぜひ、お問い合わせください。
考えようによっては、漠然としている時こそ好きなように漠然度を下げるチャンスです。

歌を歌いましょうとか、紅白に分けて競い合いましょう(何を?)とか、自分が主演してあげましょうとか、こことかここで公演しましょうとか、今ならなんでも検討の余地があります。お互いの漠然がうまくかみ合えば、なんでもあり得ます。

検討させたいことや一緒に漠然としたいことがあるひとはぜひ、お声かけ下さい。ご質問などありましたらぜひ、お問い合わせください。


*********


そんなんで公演なんかできるのか?
と思われるかもしれませんが、案外、できるものです。
才能、技術、経験、というのは公演を成立させるのにすごく重要な要素ですが、最強のアイテムは「縁」なのだと私は思っています。

舞台編の台本は読んでいただけます。(そのうちHPにUPします。)
客席編は完成し次第、追加告知いたします。


**********


缶の階vol.1公演
2014年後半 会場:大阪市内他の予定

舞台編:「ヒーロー2」出演:太田宏(青年団/カムヰヤッセン)・男優1名(未定)
客席編:「(タイトル未定)」出演予定:片桐慎和子・男優1名(未定)

劇作・演出 久野那美

他未定

未定のメンバー(スタッフ、キャスト)募集中
お問い合わせ先→→http://homepage2.nifty.com/floor/library/mailform.html


******************************


それから。
この企画を漠然ともちかけてくれた最初の一人は太田宏さんといいます。過去に、箱の階、船の階、で一緒に公演した役者さんです。

彼の出演するお芝居が今週から東京・福岡であります。
40代の俳優がティーンエイジャーを演じる3時間半の一人芝居!?
なのだそうです。意味がわからなくてものすごく気になるので、それと、初演時の舞台写真が素敵なので、私は福岡へ見に行こうと思ってます。


ご興味ある方はぜひ。

青年団リンク RoMT 第4回公演
『ここからは山がみえる』YOU CAN SEE THE HILLS
【戯曲】マシュー・ダンスター 【翻訳】近藤 強
【演出】田野邦彦
【出演】太田 宏
【公演日程】
2013年4月24日(水)~5月6日(月・祝)東京・アトリエ春風舎
2013年5月30日(木)~6月1日(土)福岡・konya-gallery(第7回福岡演劇フェスティバル 関連企画)
→RoMTのwebサイト(公演情報はこちらで確認下さい)

2011年12月 8日 (木)

工場

10歳までの数年間。
工場のある町で暮らしました。

兵庫県西宮市は、日本酒の生産で有名な町です。
宮水というとても質のいい水が出る井戸があり、近くで米がとれることもあって、日本酒の町になりました。
ですので、その町にある工場は酒工場です。
日本酒を作り、瓶に詰めて出荷する工場です。

12時と5時になると、工場のサイレンの音が町中に響きます。
子どもたちは、5時のサイレンが鳴ったら家に帰るように言われていました。トラックの通る大きな道の横を通って小学校へ通いました。
大きな門があって、?の香の漂う中、トラックが門をはいっていきました。敷地の中にはたくさんの箱が積まれていました。

私が、子どものころからしっている工場は、油のにおいのしない、けむりももくもくしない、大きな音も鳴らない、からんとしたただっ広い工場でした。私はその工場が大好きでした。。

先日、道の階という集団で食パン工場のお芝居をしました。
食パン工場は登場しないのですが、舞台になっている道の向こうに食パン工場があるのだと、登場人物が始終説明するのです。

合評会のとき、「なぜ、食パン工場なのですか?」と質問されました。
なぜ???と言われても、登場人物がそう言ってるので、としか答えようがなく、しかも嘘だそうですよ、と言うほかなく、でも、そういうことを聞かれてるわけでもないような気がして、黙りこんでしまいました。隣に座っていた出演者の片桐さんが、助け船を出してくれました。
「夢をみたっていってませんでした?」

そう、夢を見ました。このお芝居を作る数カ月前。
夢の中の食パン工場は、人気のない、あまり車も通らない広い幹線道路の先にありました。夢でも、食パン工場は登場しませんでした。その道の先に食パン工場があるのだという夢でした。町のいたるところに案内があって、「食パン工場はこちら」と書かれているのでした。ほとんどひとがいないというのになぜか電車が2本乗り入れていて、どちらも「食パン工場前」という駅名でした。その町は、食パン工場なしには成立しない町のようでした。

私はそこである駅員さんと知り合いになり、もうひとつの駅の秘密を探るべく、いろいろ動くことになるのです。その結果わかったことは、なんと、二つ目の駅の二階に・・・・・・・・・・いえ。でも、これはお芝居のこととあんまり関係ないので省略します。

とにかく、そういう食パン工場の、いえ、正確に言うと食パン工場のある町の夢を見ました。
「その夢が、もしかしたら今回の芝居に関係あるかもしれません。」
と言ったら、司会者の方が、
「それはそうでしょう。」と答えてくださいました。
そうか、なら、あの夢はどこから来たんだろう?

考えているうちに、あの酒工場だと思い至りました。
10歳までの記憶は侮れないです。

2011年12月 4日 (日)

それは、満月の夜のことでした

Moon1_2
Moon2
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作・演出:久野那美
出演  :片桐慎和子
2011年11月29日・30日
CTT大阪第11回試演会
ウイングフィールド 

2011年11月30日 (水)

そして、今日は楽。

そのお芝居の最後の公演のことを「楽(千秋楽)」といったりします。
今回2回しかないので、今日の夜の公演が「楽」になります。

道の階はこの公演をもって解散します。
つまり、解散公演です。

きのう、初日の公演と合評会がありました。

合評会というのが、私はとても苦手で。
ひどい状態で終了しました。来て下さった方、すみません。
食パンの話しかできませんでした。
芝居の話をしなくてはいけなかったのですね・・・・。

終戦直後の兵隊に「国策について」「今回の戦い方について」
聞いて答えられる余裕があるもんだろうか?
出産直後のお母さんに、「今回のお産を振り返って」「どんなお産をしたかったのですか?」「なぜ、子どもを産みたいと思ったのですか?」と聞いて、答えられるものなんだろうか?

と私は思ってるのですが、合評会ってやっぱり有効なんでしょうか?

お芝居って、特に作演出家は幕が開けた途端、できることが0になります。
何をどうしても、もう何もできない。祈るしかない、という状態で本番を迎えます。見た人が傷ついても怒っても悲しんでも、腹を立てても、何もできません。何もできないということに耐える義務があります。本番直後というのはそういう時間なのだと私は思うのですが。
つまらなかった金を返せというひとがいれば黙って頭を下げるしかないですし、面白かった来てよかったというひとがいれば、これも黙って頭を下げるしかないような気がします。どっちでもないひともたくさんいると思うので、これはそれこそ黙って頭を下げるほかどうしようもないですし。

「ぼくはちゃんと見てなかったので、わかってないと思いますが。」「(事務局の仕事が忙しくて)ばたばたしながらみてたのでちゃんと見れなかったのですが」「ぼくの意見は間違ってると思いますが。」と何度も前置きしつつ批評される事務局の司会者の方がいちばん不思議でした。間違ってると本人が断言してる意見に対して何を答えればいいのでしょう?よくないと思ったなら前置きなくおっしゃればいいのに。言えないなら言わなければいいのに。でも、これって謙遜とか社交辞令とかなんでしょうか???
混乱したまま、噛み合わない会話は終了し・・・・。

あ。今気づいた。
無難なことばで表現するのは難しいほど悪かったのだけど、でもそのまま言うと傷つけるかもしれないから、言葉をやわらかくして半分自分のせいにして、批評してくださったのですね。

よくないとしても正面から批評してもらえるくらい対等な立場で議論できたら面白かったのかもしれませんね。「私にはよさがわからなくて・・」よりも、「あなたが面白いと思ってつくってるものが私にはなぜこんなにつまらないのか?」という議論の方が断然面白いと思うので。


お客様からのご意見は、芝居の創り方どう、とかではなく、内容に関する話で楽しかったです。あかんぼカポネとか菊池先輩の話とか、食パンの話とか、は、もうちょっとしたかったな。

それじゃ合評会にならないのか・・・。
だから私は何年たっても進歩しないのか・・・。

終わったらまとめて反省します。

でも、今は、このお芝居は、私が今創ることのできる最高のお芝居です。
世界で一番大好きなお芝居です。健康に(そうでなくても)育ってくれれば、それ以上何も望みません。


あと1回しかないので、ぜひ、見に来てください。


あ。ひとつだけ。合評会で質問されて答えたこと。

質問:何をしたくてこの芝居を創ったのですか?

私:演劇でできる最小限のことはなんだろうと思いました。台詞だけで何ができるか知りたかった。

思わず言ったけど、改めて、そうだったなあと思ったのでした。

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