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2011年11月22日 (火)

金星

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11月20日、日曜日。晴れ。
なんと、先週の太田宏さんに続いて、関東からふた組目のお客様を迎えての通し稽古。埼玉の劇作家、高野竜さんと、彼の主催する「平原演劇祭」の出演者、ダンサーで女優の松本萌さんが来て下さいました。

本番が平日なので、遠方のお客様はなかなかご来場いただくことが難しいのですが、関西への用事のついでに稽古場へ寄ってくださる方がいて、本当に感謝です。稽古場でみんなで朝ご飯をたべ、10時から通し稽古をしました。

片桐慎和子さんは、先週とは打って変って「誰やねん?」状態。
絶好調でした。幸い、お客様の評判もよく、残りの課題もはっきりしてきてよい感じで終了しました。

見て下さった高野竜さんが開口いちばん、
「久野さんの芝居で固有名詞が出てくるなんて・・・・!いいのか?って、どきどきした。」
と言うので、
「固有名詞?」
と聞き返すと、
「・・・・金星・・・・。」と。

 
そうか、金星は固有名詞だったのか・・・・。軽くショックを受けました。

いや、でも、別に固有名詞禁止じゃないです。
いつも固有名詞がないのは、ただ単に私が覚えられないからです。
(金星ぐらいはわかる)

と言ったら、

「興味がないんでしょ。」と。

そうかもしれません。なんでかな?

高野さんの戯曲は固有名詞満載です。
「ぼくは固有名詞のひとなんで。」
とご本人も言われています。

戯曲を書くのにものすごい量の取材をするひとです。
なので、彼の作品を読むとたくさんのことがわかります。
私の作品を読んでも何もわかりません。

高野さんは、知らないことと向き合うための方法は、調べることだと考えているのだと思います。調べることは、世界(外側)と身一つで対峙するための手段なのだと思います。自分の外側に果てしなく広がっている「知らないこと」をひとつひとつ、「知ってること」に変えていく。終わりのないその作業の「過程」の上に物語を建てる。
・・・・というのは私の解釈ですが、そう考えるとなんの違和感も反論もなく、共感します。

高野さんはほとんど唯一、戯曲の話でいつまでも会話できる劇作家の友人ですが、この、作品における圧倒的な情報量の差と<何か>の大きさの違いにに目眩がしてきて、考えると複雑な気分になります。なので、考えないことにしています。考えることが多すぎると私は何も考えられなくなってくるからです。でも、ときどきちょっと考えてみます。自分にできないことをじりじり確認することができて、そのことは、わたしにとってわりと重要なことだからです。私にできることも、やはりそこからなら見えてくるような気がするからです。(勝手なこと言っててすいません。しかも、なんかうまく言えてないですし。)

いいわけすると、
知ってること・わかったことを書くというのが私はどうも苦手なのです。

書くときに調べものはします。本も読みますし、現地があれば現地へも行ってみます。実際にできそうなことはぜんぶ、やってみる方です。

でも、できればそれは書きたくない。

私は、調べるのは、調べてもわからないことを探すための手段だと思ってるような気がします。

金星の話をしていて、
「月の後でパーカッション鳴らしてるのは、あれ、金星なんじゃないかと思うんですよ。」
と、こそっと教えてあげたら、

「僕だったらそれがわかるような台詞を入れる。」
と言われて反射的に反論してしまいました。

「私は入れない。絶対入れない。」

だって、ほんとうにそうかどうかわからないですし。
そうであってもそうでなくてもどっちでもいいと思うし。
どっちなのかわかるように書いてあったらつまらないような気がするし。
要するにつまらなくなく書けないわけですが。
いや、要するにそうやってると、内容がなくなっていくわけですが。
ボリュームが少ない割にわかりにくいと言われるのはつまり、情報量が少なすぎるからなのかもしれないのですが・・・。

・・・・考えると複雑な気持ちになるので、考えないことにします。
またそのうちちょっとだけ考えてみます。


この日はそれから4人で宮沢賢治の朗読会へ向い、15年前に一度劇場で会ったきりのひとに再会し、その後鶴橋でホルモンを食べ、ほんとうにもりだくさんな、演劇三昧ないちにちでした。
公演前に目の前が広がるような時間をもてて、なんだか贅沢な気分です。

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