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2011年10月10日 (月)

台本に書かれてないこと。

稽古が始まってから1カ月たち、物語の世界にもけっこう馴染んできた私たちは、新たな壁にぶつかっていた。

もはや真実は文字でしかない台本を離れ、目の前で動いてしゃべる役者の一挙手一投足の中に埋まっているのだ。台本の一字一句を文字通り過信することはできない。さて、どうする?

気づけば、どこにも書かれていない真実を、演出家と役者は共有しはじめていた。
「・・・・と書いてあるけど実は・・・・だよね。」「このひとがやたらと・・・・を繰り返すのは・・・・・・じゃないからに違いない」「この・・・・って、・・・・・・のことだとしか思えないよね」「このひと、・・・・であることをわかってるはず」etc・・・。

二人しかいない現場で二人が信じていることに勝る真実があるだろうか。

演出家と役者が台本を踏み越えてがんがん進んでいく。
それは芝居の稽古の醍醐味で、とてもわくわくする場面だ。
一方、作家がひとり孤独をかみしめる場でもある。
演出家と役者が新しい真実を掘り起こせば掘り起こすほど、作家は孤独に取り残される。作家は台本の世界より外に出ることはできないから。
これは、戯曲が芝居になる過程で避けられないことであり、とても幸せなことなのだ。

のだけれど、ここで問題なのは、今回、作家と演出家が同一人物だということだ。「役者と一緒に未知の領域へ踏み込む冒険」と「孤独に取り残されること」を同時に経験しなくてはいけない。これはとても切ない。それ以前に、論理的に変だし、気持ちの動きが複雑すぎて自分でも何を感じてるのかわからなくなる。


「・・・台本に書かれてないことを要求して申し訳ないんだけど。」
「たしかに台本にはどこにも書かれてないけど。」
「・・・台本を読んでいてもわからないことなんだけど。」
「台本には・・・って書いてあるけど、ごめん、文字通り信用しないで。」

発見するたびに卑屈に言い訳するようになってしまった。
これはこれでどうかと自分でも思う。

やがて、煮え切らない演出家が面倒になってきたのか、役者は
「台本に書かれてないことをそんなに気にしなくてもいいんじゃないでしょうか。」と言いはじめた。

返す言葉もなかった。

さらに、
「たしかに台本にはかいてないかもしれませんけど、でも、私は書いてあるような気がしますよ。」
とも。

壁にぶつかってるのは私だけなのだった。
稽古は順調に進んでいる。進んでるのだと思う。
きっと。

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